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私の履歴書 似鳥昭雄さま

2015年05月02日 (土) 14:40
先月の日経新聞「私の履歴書」は「お、ねだん以上。」のCMで有名な
家具小売大手「ニトリホールディングス」の似鳥昭雄社長でした。
一代で年商約4000億円の大企業を築き上げるまでを綴っていますが、
その波乱万丈の半生が面白すぎて夢中でした。

簡単にまとめましたのでご紹介します。(長いです)

小学校低学年の時の担任の先生が
「クラスで一人だけ、漢字で名前が書けない子がいた。
その似鳥君が成功しているらしいがいきさつを知りたい」と言っていたそう。
劣等生がどのように成功したのか? 
連載初日、読者の心はガッチリ掴まれました。

樺太で生まれ、引き揚げで北海道へ。母はヤミ米屋に。  
今の時代なら虐待かも?と語るくらい、子ども時代は過酷。
家の手伝いがきつく、ヘマをすると両親に殴られた。
熱があっても手伝いは休めず、吹雪の中のヤミ米配達で
何度も凍え死にそうになる。

勉強ができず、ツギハギの服を着ていて小柄。
「ヤミ屋」と罵られ、学校ではいじめの対象だった。
中学校時代には、ヤミ米の配達中に同級生たちと出くわし、
自転車もろとも川に突き落とされた。落ち方が悪かったら死んでいた。
ドロドロになって帰り、親に話すと「米を拾ってこい」と怒られた。

後々この件は、
同級会で「すまなかった。何度も夢に見た」と同級生に謝られる。

相変わらず勉強はできなかったが、志望校の校長にヤミ米を届け、
何とか補欠合格する。高校時代もいじめは続いた。

学費や生活費を自分で稼ぐ条件で、短大進学を許される。
有名大学(現在の北大!)への編入試験はカンニングで挑み
(結局は実力で合格)
単位をとるために先生を尾行して仲良くなる。
アルバイトは、任侠映画さながらのスナックの未払い金取り立てや、
家出女性への仕事のあっせん、パチンコやビリヤードなどなど
・・・なんとか大学を卒業する。

父の経営するコンクリート会社に就職するが、
「病気でも働け」と言われ、嫌気が差して家出。
住み込みで働き口を見つけるがノルマがこなせない。
花札で所長に取り入るが、解雇されてしまう。
再び父の会社に戻り、現場監督になるが、
すぐにストライキする労働者に苦労する。
季節工の親分と花札や酒・相撲で勝負して意気投合し、
現場を巧みに取り仕切った。

火の不始末の責任を取って、父の会社を辞めることになる。

引き揚げ者などの住宅が多く、
衣食住のうち家具屋だけがないため、家具販売を始める。
1号店の「似鳥家具卸センター北支店」をオープンさせるが、
接客が下手で売上は上がらない。
母に勧められ、8回のお見合いの後、現在の妻「百百代」と結婚。
女番長だった「百百代」は
度胸が良く商売上手で売上を伸ばす。
そのお陰で仕入れと配達に専念。分業体制となった。

2号店もオープンさせるが、ライバルの出店で倒産の危機に。
わらにもすがる気持ちで同業者50人ほどの米国への視察旅行に出かける。米国の家具は部屋ごとにコーディネートされ、豪華で美しい。
更に、価格は日本の1/3。
「米国のような豊かな生活を日本で実現したい」という
明確なビジョンが芽生えた。

チェーンストア経営についてのコンサルタント「渥美俊一先生」の
主催するクラブに入会。
30年後の2002年に「100店、売上1000億円目標」という計画を立て、出店を拡大。
学生にも、ロマンとビジョンを熱く語った。
特に、79年採用の「花の4期生」は、全国展開の原動力に。
後に幹部に成長し、ニトリを大きく変えるきっかけとなった。

出店にかかる地主との交渉も、銀行との借り入れの交渉も、
ビジョンを語り説得に説得を重ねる。簡単にはあきらめない。
大半の人は3回断られたら、やめてしまうが、4回目からが本番と考える。

出店が進む一方で、
スカウトした営業部長が商品を横流ししたり、
社内連座の不正が発覚したり、
あるときは、途中入社の大手量販店出身の役員たちに権限を奪われ、
ウツ状態に陥ったり。内部の抵抗勢力との戦いが続く。

海外仕入れに注力していた当時は
「海外に女性がいるのではないか?」と社内で噂となる。
インドネシアに現地法人を作ると、社内からも外からも窃盗犯が現れる。
1トンの重機まで盗まれ、ガードマンさえも信用できず、
全員解雇するとマシンガンで脅される。信賞必罰で対応。

海外取引が増えると、
船をチャーターする仲介業者とニトリ社員との癒着が発覚。
タイの現地法人では、社員の半数が関与する社内横領事件が発覚。
全員解雇して会社も解散させた。

社内ルールを厳しくし、縁故採用も接待を受けるのもNGとした。
20年前から「公正取引宣言」を取引先にも配布している。

拓銀・山一ショックの後、
都内大型店舗の成功でニトリは大きく羽ばたいた。
2003年に100店を達成し、2013年には300店を達成。
優秀な技術者との出会いや
リスクを恐れない「ニトリイズム」に満ちた社員たちの活躍で、
会社は成長を続けていく。

次は、3000店3兆円という30年計画に向けて動いている。
成功の秘訣は「ロマンとビジョンを掲げ、他社より5年先を行く」。
人生は冒険であり、アドベンチャー。


 

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