4ケ月で社労士?ー前半  

(1) 社労士受験する?

前にも書いたが、私は今どきめずらしい5人きょうだいである。
小さいときはわからなかったが、きょうだいが増えるメカニズムを知る頃になると「お父さんとお母さん、がんばったね~」とか言う人がいて、スゴく嫌だった。

しかし、大人になると、きょうだいの存在はますます重要になった。
親友でもない親でもない物凄く近い人間が何人もいるのである。
きょうだいが多いのはいつも心強く、実際、本当に助け合った。

そんなわけで、うちの子にも絶対に「きょうだい」ってヤツを味合わせたかった。
昔と違ってそんなに大勢は無理だけど。
ふたり目が生まれてから、長男が弟をかわいがる様子が微笑ましい。
4つも離れているせいか、あまり喧嘩にもならず、特に、弟のお兄ちゃん絶対主義にはおどろく。
私たち親や大人がお兄ちゃんを叱っていると、理由は問わず、ウルトラマンマニアの弟のパンチやキックがどこからともなく飛んでくる。

「あんちゃん、いじめちゃダメでしょ!」って・・・イテテ。もう、怒れない。
けっこう、お兄ちゃんにいじめられたりしてるのに大好きなんだよね、不思議。

ふたり目は、色んな面でおおらかに・・要領を得て手抜きもアリで子育てを楽しんでいた。
ひとり目の心配だらけの育児休暇のときとは大違い。
身も心もゆとりがあったせいか、母乳もピューピュー、すごく出が良かった。
出すぎて、成長著しい次男も飲みきれず、何度も乳腺炎になるほどだった。
とうとう、おっぱいが張る苦しみとビールの誘惑に負け、生後7ヶ月で母乳をやめた。

実は、次男に謝らなければならないことがある。
生まれてから8ヶ月あまり経ち、ようやく雪も消えはじめた春の日。次男を連れて車ででかけた。何の気なしに、地元では大きな本屋さんに入り、抱っこしながら本を見て回っていた。その本屋さんは、私がFPなどの受験の参考書を買ったところだった。その頃を思い出しながら、資格関連の棚を見ていた。

すると、ひどく私にアピールしてくる本があった。もう、手に取らずにいられないくらい。

それは、
「うかるぞ社労士 2004」
「うかるぞ社労士 5年間過去問 2004」
だった。

そう、消費生活アドバイザーの実務研修で、何も障害がなければ
「社会保険労務士になって、せきねFP社会保険労務士事務所を開く」
と、書いたアレである。生々しく記憶がよみがえった。

「おい、おい。この抱いてる子は障害にならないのか?」
と言うもう一人の私の声を無視して、問題集をパラパラとめくる。

たまたま目に留まった国民年金法の過去問題(5択)を1問やって答えをみたら、偶然正解だった。
「そんなつもりで本屋に行ったわけじゃないのに・・・」次の瞬間、次男の出産祝いの図書カード5,000円分に手持ちの2,000円ちょっとを足してその2冊を買ってしまった。

ごめんね、次男。君のお祝いを・・。

次男が生まれる直前までは、独立系FPとして出来る限りの仕事をやっていた。大きなお腹でセミナー講師もしたし、相談業務もこなしていた。しかし、さすがに出産してからは、育児に専念していた。実際、家事もやっとで、何にも出来なかった。

それなのに、買ってしまった。それも7,245円はイタイ。
本当にやる気?
子供はどうする?

今度は、1週間や1ヶ月の勉強では無理だよ。だって、合格率6~7%。
第一、学校とか通わないで、本屋で問題集買って受かった人っているの?
無理だって!!!・・・もう一人の私が遠くで叫んでいた。
 

 
(2) 最悪なGW

3月の終わりに衝動的に問題集を買い、家事や育児の合間に答えを見ながら1回目を通しただけで、4月も終わりに近づいた。

本試験日は8月20日。

私は、残りの4ヶ月弱で過去5年間の問題集を10回繰り返せば合格できるのではないかと考えていた。

ところが、4月の終わりから5月というこの頃は本当に落ち着かないのだ。
やっぱりGWには、子供をどこにも連れて行かないわけにはいかない。
特にこの時期は、長男が大好きな戦隊ヒーローデカレンジャーが全国で敵と戦っており、近くで戦っているときは応援しに行かなくてはならない。
どうみてもやや太り気味のヒーローを「デカレンジャー!がんばれ~!!」と、大声で応援しなくてはならない。

さらにこの時期は、実家は田植えの頃である。
うちの実家は、農作業の繁忙期は親戚縁者が集まって手伝うことになっている。
両親の兄弟や子供(わたしたち)はもちろん、その連れ合いやその子供、その友達やそのまた友達・・・。
人手が足りないとか、役に立つとかの問題じゃないのである。はっきり言って手伝いに行ってもやることがないことさえある。
つまり、参加することに意義があり、ワイワイ大勢で集まって、昼も夜も盛り上がるのだ。
「用があって手伝いにいけない」とか
「飲まないで帰る」なんて許されない。魚沼の方言で言ったら「取り持ちが悪い」つまり、「愛想がなく不義理である」ということで冷たい視線を浴びることになる。

また、年俸なしのプロ野球選手(おもいっきりアマチュア)であるダンナは、雪が消えて外で野球ができるようになるこの時期、まさに遠足前の子供状態。
GW恒例の大会を口実に練習に明け暮れ、練習試合の相手が見つかれば、いそいそと出かけていく。
「私、ホントは勉強したいんだけど・・・ちょっと子供たちを・・・」
お勉めの田植えを終えたダンナのうしろ姿に、私は言葉を飲み込んだ。

言い訳女王といわれても仕方ないが、とにかく5月は全く勉強できなかった。
このころの社労士資格関連の雑誌には、
「GWに集中して実力アップ」とか
「GWにどれだけやったかが勝負を分ける」
とか・・・私にとってバツの悪い言葉が踊っていた。


(3) 6月から本格始動

鈍感な私もとうとう危機感を感じていた。
そこで、義母に火曜日と木曜日の昼間、長男が幼稚園から帰ってくる4時まで当時10か月の次男をみてもらえないかと頼んだ。
このころ、まだ本当に最後まで挑戦する自信が持てなかった私は、
「社会保険労務士の資格に挑戦したいから、協力して」とは、義母に言えなかった。
しかし、義母は、快くOKしてくれた。FP業務の再開と思ったらしい。

こうして、昼間2日間(10時から4時)は育児から開放されて勉強できることになり、近くの市立図書館に通うことにした。

市立図書館の2階は調べ物をしたり、勉強したりできる学習スペースがある。
月曜日は休みだが土日も開いており、冷暖房完備。普段は数少ない常連さんだけでスペースもゆったりで非常に静か。常連さんそれぞれが座る席も自然に決まっていて、集中して勉強するにはもってこいの場所である。そこで、ひたすら問題集を頭から解いていた。

いつもは静かな図書館の2階も、高校生や中学生の中間・期末テストの前は急に騒がしくなる。普段来ない人が来るので窮屈になり、時にはおしゃべりが気になることもあった。
しかし、それもせいぜい1週間程度。みんなギリギリにならないとやらないのね。私もそうだったなーと学生時代が思い出される。
図書館は飲食禁止のため、館内に自販機もなく、近くにお店もない。当時は家に昼食を食べにいく時間もパンなどを買うお金ももったいなかったため、いつもおにぎりとお茶を持参して、1階入り口脇の長椅子か隣の市民会館のロビーで食べていた。

たまに知り合いに会ってしまい、「何してんの?」と聞かれたりして困った。
「社労士目指して受験勉強」と堂々と言う自信もなく、悪いことをしているわけでもないのにドギマギした。

そんな挙動不審のせいか、ある知り合いがダンナに「お前の奥さん、一人で変なとこで食事していたぞ。大丈夫か?」と聞いてきたこともあった。

うつ病説まで流れる始末であったが、
週2日、昼間の時間、育児や家事から開放され、思う存分勉強することができた。

しかし、そんな勉強時間では到底足りない。10回繰り返す予定の問題集をまだ1・2回しか終わっていないのだ。

そこで、一大決心、夜のビールを試験日までオアズケにすることに。
実はこれは私にとってとてつもなく苦しい決断であった。

私は、弱いくせにお酒(ビール)が大好き。
私の周りで私の酒好きを知らない人はいない。
独身のころは、自分が飲めない飲み会など大嫌いだったし、飲めば歌ったり踊ったり絡んだり(?)とにかく大騒ぎだった。
古くからの友人と久々に会うと私の「お酒での失敗エピソード」や全く自慢できない「酒豪武勇伝」で盛り上がる。気のせいか、会うたびに話がオーバーになっているようで気になる。

当時、私は午後5時くらいに夕飯を作り始めていたが、「調理開始」イコール「飲酒開始」であった。また、休みの日に出かけると昼間からビールが飲みたくてたまらない。勝つまでジャンケンして飲もうとするため、ダンナに「アル中主婦」と罵られていた。

そんな私が「禁酒」を決意したのだから、いかに切羽詰っていたかわかるだろう。

これからの蒸し暑い新潟の夏に向けて苦渋の選択ではあったが、そうすれば夜の時間を有効に使うことができそうだ。ふたりの子供が寝たら、ダンナに「お願いね」と声をかけ、勉強開始。
得意のファミレスに直行するのだ。

それまで毎日、育児と家事に追われていた私は、勉強とはいえ、ファミレスでのひとりの時間はこの上なく嬉しかった。
CFPや消費生活アドバイザーのときに1週間続けて利用することはあったが、今回は長丁場である。お店の人の迷惑にならないよう気をつけよう。
10時ごろはまだお客が多いので、12時ごろから始めて3時には帰ろうと決めた。

 

続きをお楽しみにお待ちください。

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