NHKのど自慢出場  

(1) 応募のきっかけ
「このままでは幸せな子育てはできない」と失望し、
長男が1歳3カ月のとき、私は会社を辞めた。
 
しかし、特に趣味もなく、ある意味仕事人間だった私は、とても不思議な気持ちになっていた。
自分がどこにも属していないのが、なんとも自由で楽しいのである。
今までは、
「・・・・担当の関根さん」
「・・・・に勤めている関根さん」
と呼ばれていたのが、
ただの「関根さん」になった。
 
何をしても、
「会社の方針と違う」とか「慎重な検討を要する」とか
「目立ちすぎると余計な仕事が来て損するよ」とか
「そんな暇があったらもっと子供の面倒みてほしい」
とか誰にも言われない。
何を考えようが、何をやろうが自由なのだ!!
 
子育てや家事で忙しいことは忙しかったが、今まで見たことの無い時間帯のテレビをみたり、子供のお昼寝中に新聞を隅々まで読んだり、新鮮な空気が体に入ってくるのを感じていた。
 
ある時、新聞にはさまっていたチラシ広告に
「NHKのど自慢 出場者募集」魚沼・小出郷文化会館
と、出ていた。
なんだか面白そうと思い、早速、往復はがきを書いて応募した。
 
 もし会社を辞めていなかったら、絶対に応募していないと誓って言える。
第一、新聞のチラシも見ない。会社にいたときは、
「なんだか、面白そう」
なんて理由では、行動しなかった。
「そんなエネルギーあったら仕事に生かせよ」とか
「土日のお休みくらい子供の面倒みてほしい」
と言われるかもしれないと、先読みしてやめていたはずだ。
 
のど自慢に応募するのは誰でも出来るが、
実際に出場するとなったら、そうそう簡単にはいかない。
私のようにとりあえず書く応募のハガキが約1000通。その中から、250組が選ばれて予選に出場となり、予選会で最終出場者20組が決定する。
 
並大抵では選ばれない・・・。
出場の決め手は、米農家の両親に捧げる歌を三人姉妹で歌ったからだと思う。
 
私は米どころ新潟の魚沼の出身で、実家の両親は魚沼産コシヒカリの生産者である。
冬は3・4メートルも雪が積もる豪雪地帯で、夏は暑すぎて避暑地にならないところだ。
 
そんな厳しい自然の中、熊の出そうな山あいの地で、両親はずいぶん前から有機や低農薬の特別栽培米に取り組んできた。それは、まさに採算や効率などとはほど遠い世界の話で、傍で見ていた私たちも呆れるほどであった。
 
両親は、長年の米作りへの情熱と取組みが認められ、皇室で行われる初穂祭の献上米に選ばれるようになっていた。しかし、これは名誉なだけで、出荷の際の値段にも影響しない。そればかりか、皇居に献上に行く交通費さえも自腹である。
 
それでも、両親は無邪気に喜んでいる。
 
そんな不満をぶつけたわけではないが、のど自慢出場者に求められる出場動機につながるスートリーとしては十分だったと思う。それは、時に歌唱力以上のアピールになるらしい。
 
「皇室献上米にもなったおいしい米づくりに精を出し、私たちを育ててくれた両親に感謝をこめて三姉妹で歌います。 モーニング娘。の「ハッピーサマーウェディング」・・」
とか何とか、ハガキに書いた覚えがある。まさか、予選に出ることさえ激戦とは知らなかったが、この内容で後日の予選会出場の案内がきた。妹たちには事後承諾だった。
 
(2) 予選会に向けて
その後、私たち姉妹3人は、歌の練習のためにカラオケボックスに何回か通った。
 
ちなみにうちは、私が1番上で女が3人続き、下2人が男の5人きょうだいである。つまり、今どき珍しい典型的な貧乏子沢山の家だったのだ。
 
現在は、全員が結婚し、子宝にも恵まれている。私たち3姉妹もそう遠くない場所に住んでいるが、結婚後はそれぞれの生活や子育てに追われ、カラオケに行くなんて機会はなかった。
 
おかしなきっかけだったが、久々に妹たちと昔話に花を咲かせながらの歌の練習は本当に楽しかった。
何より、ずっと続けていた勤めを辞めて、平日の真っ昼間にワイワイとモーニング娘を歌い踊っている自分が自由で不思議で笑わずにはいられなかった。
 
実際にカラオケで歌ってみると、モーニング娘。の「ハッピーサマーウェディング」は歌い出しも、その後の音程をとるのも非常に難しい。
その上、踊るなんて至難の業だ。
 
しかし、ハガキに書いた歌の変更は認められない。
そもそも、この歌の始めの部分で
「父さん、母さん、ありがとう♪♪」
という歌詞があるため、応募の背景と、初めの部分しか歌えないのど自慢にぴったりと思い選んだのだ。
 
何度か練習するうちに・・・いや、練習する前からうすうすわかってはいたが、私たちの歌唱力では予選を勝ち抜くことは出来ないと確信した。
 
次女の歌はまあまあだが、私と3番目は歌も踊りもひどいものだ。ちょっとやそっとの練習でうまくなるとは到底思えない。
 
毎週チェックしていたわけではないが、NHKのど自慢は歌がうまい人だけが出ているとは限らない。
本戦20組の中には確かに歌がうまい人が多いが、間違いなく「お年寄り枠」や「民謡枠」、「ご当地宣伝枠」、「にぎやかし枠」が存在している。
 
私たちは、年齢的、選曲的に「お年寄り枠」と「民謡枠」はNGなので、
「ご当地宣伝枠」か、「にぎやかし枠」を狙っていくことにした。
 
まず、歌唱力は今更どうしようもないので、とにかく音程が外れても元気に歌うことを心がけようと決めた。
 
次に、何年練習しても出来そうもないモーニング娘。の振り付けの真似はあきらめることにした。
その代わり、3人が何も考えずに踊れる地元の民謡「広神村音頭」の振り付けをいれることにした。そのため、歌と踊りは全く合っていないが仕方がない。
 これで、何とか、歌って踊れるような雰囲気になってきた。
 
 しかし、魚沼産コシヒカリの「ご当地宣伝枠」か、元気が取柄の「にぎやかし枠」を狙うには、もうひとつ何かが足りない気がしていた。そこへ、話を聞きつけた新聞記者をやっている弟が東京から電話をかけてきた。
 
「以前、地元米のPRで使っていた姉さんかぶりに絣の野良着の衣装で出てはどうか?」とのこと。
 
確かに、あの衣装なら見ただけで米どころ新潟を連想させるし、予選会場でも恥ずかしいくらい目立つだろう。さっそく、衣装を借りるダンドリに向かった。
 
(3) 予選会当日
NHKのど自慢は毎回そうらしいが、本番の日曜日の前日、土曜日に予選会が行われている。
予選会は、午前9時ごろから5時ごろまで公開で行われ、最終選考で20組の出場が決まるのである。
 
つまり、次の日の正午からのNHKのど自慢に出られるかどうか、前日の夕方までわからないのだ。
 
予想通り、250組の公開予選会は熱気に包まれていた。
 
観覧席も朝からけっこう人がいた。
どこかで見たような地元の人たちが20秒30秒ごとに入れ替わり立ち代り色んな衣装で歌うわけだから、予選会を見ているだけでもけっこう面白いのである。
審査員気取りで、
「この人は出れるんじゃないか」とか、
「この人はここがダメだった」
とか批評しながら見るのも楽しい。
 
出場者は本当にさまざまで、もっと聞きたいと思うほどのプロ顔負けの人が出てきたり、大笑いするような奇抜な衣装で出てくる人もいた。
なかには、生演奏の1発勝負に緊張して、はじめから歌詞が出なかったり、途中で歌詞を忘れたり・・、これから挑戦する側にとっては一気に緊張感が高まる場面もあった。
 
169番の私たちは、朝から緊張しっぱなしだったのに、実際歌うのは午後3時半くらいだった。
間を置かずに続けて審査ができるよう、ステージ上には常に10組くらいが並んで歌の順番を待っていて、ステージのすぐ下にも次の10組が並んでいた。待っている時間は本当に長く、落ち着かなかった。
 
ただ、朝から例の衣装を着ていた私たちに
「どうせやるならアンタたちくらいにやらなきゃダメだよねー」
と、声をかけてくれる他の出場者もいて、
「とりあえず衣装は成功かな」と話していた。
 
予選の時の緊張は、今でも忘れられない。
本番の何倍も緊張したと思う。
 
ステージ上で待つ10組になったときは、あまりの緊張にのどがカラカラで、これから歌なんか歌えるんだろうかと思っていた。
 
私たちの歌の出だしは、
「コングラチュレイショ~ン」
という私のソロでから、演奏スタートする予定だが、自分でも一発目のそれが、いったいどんな声で飛び出すやら全く予想がつかない。
 
ついに、168番が終わって、私たちの番だ。
 
どきどきの心臓がのどの奥に詰まった感じで息苦しい。
ステージの中央に進むと、スポットライトと緊張で客席さえ全く目に入らない。
 
169番。ハッピーサマーウェディング」と私が言う。
良かった。歌が1発目の発声じゃない。
 
大きく息を吸って・・・私の掛け声から、生演奏が始まった。

(4) NHKのど自慢出場
結局、250組の予選を勝ち抜き、姉妹三人でのど自慢の本戦に出場することになった。
予選を勝ち抜いた出場者は、すぐに会議室に集められる。
プロフィールの記入や出場の背景、明日の打ち合わせなどでけっこう遅くまでかかった。
更に、翌日の日曜はリハーサルために朝から集まらなければならないのである。
 
打ち合わせのとき、NHKの人が私たちに言った言葉が忘れられない。
「君たち、何で選ばれたかわかる?歌がうまいからじゃないよ」
 
(私たち)「わかってます・・」
 
「良かった。じゃあ、元気よく歌って盛り上げてくださいね!」
 
私たちは期待に応えるべく、とにかく元気良く歌った。
そのかわり、予選をはるかに超える音痴ぶりだった。特に私の第一声は、自分でも信じられないほどハズレていた・・。
 
ご存じの通り、NHKのど自慢の鐘は
「カーン」・・・下手!
「カーン、カーン」・・・もうひとつ!
「キンコンカンコン・・キンコンカーン♪」・・・合格!!
3種類である。
 
後で聞いたのだが、
「カーン」・・・下手!は、
「キンコンカンコン・・キンコンカーン♪」・・・合格!!より数が少なく、あまり出ないのだそう。
 
私たちは当然その貴重な「カーン・・」だったが、客席の両親も紹介され、一生の思い出となる大・大・大満足な一日であった。
 
後になって思うと、これが主婦になり自由な気持ちで行動した一番はじめだったと思う。
 
それまで縛られていた対費用効果や体裁を全く気にせず、
「ただ、やりたい」
「とにかく、おもしろい」
という、心の叫びに従った最初の挑戦だった。

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