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河井継之助という人

2015年09月05日 (土) 12:08
河井継之助は
長岡藩、牧野家の家臣河井家に生まれ、幕末には長岡藩家老となる。

少年期、剣術・馬術を習っても、師匠の言うことを聞かずサジを投げられる。

他方、王陽明の「陽明学」に出会い、傾倒する。

陽明学の教えのひとつに「知行合一」がある。
「知ること」と「行うこと」は同じ心の良知から発する作用であり、分離不可能。
知って行わないのは、未だ知らないことと同じであり、
いくら知識があっても行動が伴わなければ意味がなく実践が重要であると説く。

継之助は「自分は原理を追求する」と言い、
「人の一生は短い。学問が得意な人が時間と根気を費やしてそれをやればよい。
自分は必要なときその方面の権威に話しを聞く」とした。
学者を必要に応じて利用し、自分の判断基準を信じ、
合理的に先を読み、なすべきことを実行する・・・
今の時代の経営者にも学ぶところが多いと思います。

江戸への遊学の他、
山田方谷の藩政改革を学びに備中松山(現在の岡山県)も訪れた。
九州長崎まで足を延ばして知見を広め、
横浜ではスイス人などとも交友を持つ。
遊学の後、長岡藩に戻ると賄賂・賭博・遊郭を禁止し、藩の経済を一気に立て直した。

また、旧態依然の武士に西洋式の銃や大砲を取り入れさせた。
今の価値で3億円するガトリング砲を2門備えたのはあまりに有名。
しかも、それらは必ずしも戦いに使用する目的ではなかった・・・と
信じたいと思っています。
 

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