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山本五十六

2011年12月08日 (木) 20:33
 地元を代表する偉人「山本五十六」の映画が
もうすぐ公開されますね。

この機会に…と「山本五十六」に関する本を読んでみました。

改めて、太平洋戦争までの経緯や山本五十六の考え方を知り、
映画の公開が楽しみになっています。

<生い立ち> 

現長岡市東阪之上町に高野貞吉の六男として誕生。
父が56歳の時、生まれたことから五十六と名づけられる。
粗末な家に住み、衣服も中学を通して1着のみ使用。
教科書を倹約するため、自分で書き写したものを使い、
予習・復習を怠らず、海軍兵学校入学を目指して勉学に励んだといいます。
甥に宛てた書簡にも
「汝自身の力に多く依頼せられよ。何事も人によって大成するものにあらず」
と書いています。
 
 <日独伊三国同盟 絶対に締結すべからず>

 五十六は、三国同盟が必ず対米英戦争の呼び水になるとの確信から、
手を尽くして反対します。
開戦となれば、東京は3、4回丸焼けになると予言していました。
しかし、ナチスドイツの快進撃を見て、
マスコミにあおられた日本国中、「バスに乗り遅れるな」の大合唱。
同盟締結のその頃、ドイツとイギリスは激戦中。
アメリカは怒り狂い、クズ鉄・石油の全面禁輸で報復し、
日本は一気に開戦へと急坂をころげ落ちて行きます。

 <真珠湾攻撃と五十六の願い>

五十六が着想したと言われる真珠湾奇襲攻撃ですが、
五十六自身その直前まで「戦争回避」に望みをかけていました。
仮に開戦が避けられなくても、
「早期に優位に立って講和に持込み、戦争を短期で終わらせたい」
との願いが真珠湾攻撃には込められていたのです。
また、無通告奇襲攻撃とならぬよう事前通告にこだわっていましたが、
外務官僚の怠慢からそれも叶わぬものとなってしまいました。

<黒革の手帖>
 真珠湾攻撃からの日本の連戦連勝に、国中が有頂天になっている時も
五十六は憂いていました。
その後、慢心からミッドウェー海戦に
大敗し、日本は敗戦への道をたどります。
五十六は、戦死者の名を書いた黒革の手帖を肌身離さず持ち
歩き、時おり、開いて閉じて目をつぶる…そんな動作を繰り
返していたといいます。

 映画ではどのように表現されているかわかりませんが、
先人の遺志を継ぎ、私たちはこの平和を必ず守り続けなければ
ならないと改めて思いました。



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