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09-06 (Sun) 13:19
河井継之助  小千谷談判 慈眼寺
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幕末において
長岡藩が中立の立場をとり、西軍と東軍を仲介して、
徳川家も会津藩も救おうと考えた継之助。
しかし、動乱の幕末にその大きな役目を果たすことは叶わなかった。
西軍の岩村軍監は談判に取り合わず、維新史上、最も壮烈な北越戦争に突入。
継之助は「長岡藩士」を全うして散ります。
 
小千谷市平成にある慈眼寺は、
予約の電話をして「会見談判の間」の見学が可能です。
私が伺った日、
運良く船岡住職のお話を聞くことができました。






















写真奥に西軍の岩村精一郎が座り、
継之助は手前の座布団位置に座っていたか・・・あるいは、
継之助はふすまをまたがず手前の部屋から、
伏してお願いしたのかもしれないとのこと。

慈眼寺には、遠方からも「継之助ファン」が
訪ねてくるそう。
また、「貴寺にあるべき」と
継之助にゆかりのある品が自然と集まるとか。

平成16年の中越大震災で、「会見談判の間」も甚大な被害を受けたが
全国から支援があり、無事に復旧。
震災後に再び訪れた方も「変わっていなくて安心した」と喜んでくれるそうです。
 

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